インドや宗教に興味がなくても、「サイババ」という名前はなんとなく聞いたことがあるという人は多いだろう。かつて日本でも「何もないところから灰やらアクセサリーやら何やらを取り出す、ビックリ人間としてマスコミなどを賑わせていた、あのアフロのおっさんである。おっさん、とは言ったものの、インドでは彼は立派な聖人であり、生き神である。インドを旅した人は彼のプロマイドがうやうやしく祭壇に飾ってあるのを、一度は目にしたことがあるだろう。彼は南インドの小さな村、プッタパルティにて自身の道場=アシュラムを持っていて、いまも信者たちと一緒に布教活動をしている。「生き神」という響きに誘われ、その摩訶不思議な道場に滞在した記録をまとめてみた。
●サイババ・タウンへようこそ! バスはいままでインドで乗ったバスのなかでは格別にゴージャスで、たとえると日本の普通の観光バスを丁寧に何十年も乗ってきましたというような風格のバスだった。一路プッタパルティに向かう、「デラックス・サイババ・バス」である。「乗ってる人、みーんなサイババ信者かねぇ」とともちゃんとヒソヒソ話をしていたが、もともと宗教色の強いインドのこと、別に乗客もごく普通の中流、もしくは上流のインド人ばかりである。バスを通り過ぎていく風景も、ごくごく普通の田んぼと畑とココナッツの木と乾いた地面という典型的な南インドの田舎道(もちろん、寒いところを旅していただけに、久々に見るココナッツの木をうれしく思ったりしたのだけど)。あまりの田舎道に「はて? この先に生き神がいるってホントかしら?」と不安になったものだ。
バスがプッタパルティに近づいてきたところ、突然前方に妙な建物が見えた。丸い屋根に丸い窓、ピンクがかった赤ペンキの壁と白のラインのグラデーションという外観のその巨大な建物は、まるで大きなタコをモデルにデザインしてみました、という感じなのである。あまりの巨大さと奇抜さに、「ア、アレは何?」としどろもどろに隣のインド人のおじさんに聞いたところ、「アレはサイババが建てたホスピタルなのだ」と妙に威厳を持って答えてくれた。ナヌッ、サイババ! 思わず「へへぇ」と頭を垂れてしまいそうな気分になってしまうのである。それにしてもデカイ。しかも変(笑)。
これはプッタパルティにも期待が持てるわ……と思いつつ窓の外を眺めていると、ピンクとブルーの妙にファンシーな門をくぐった。どうやらプッタパルティの村に突入したようだ。左右を見渡すと、なにやらほかの街と全然テイストが違う。バンガロールからいままで通ってきた道ではまったく目にすることのなかった立派な建物がいくつもあるのだ。しかもそれらは全体的にブルーやピンクや淡い黄色といったパステル系の色で統一されており、村全体がまるでディズニーランドの「It's a small world」のようなファンシーさでもって華やいでいる! ポリス・ステーションまでもがピンクとブルーで包まれて、これでは泥棒もビビらないんじゃないかと思ってしまうぐらいだ。
サイババのアシュラム(修行道場)は村のど真ん中もど真ん中、バスの停留所の目の前だった。村全体がアシュラムを囲むようにできているのだ。アシュラムの脇にはまたもファンシーな色使いのゴプラム(塔門)があり、その門を飾るヒンドゥー教の神様シバァ神もゴールドでピカピカと輝いている。アシュラムの前に広がるメイン通りにはゲストハウス、レストラン、洋服屋、みやげ物屋がずらりと立ち並び、さながら一大観光地だ。みやげ物屋は店頭いっぱいにサイババ・グッズを並べ、サイババのドアップになったCDがズラリと店先を飾っている。あっちを向いてもサイババ、こっちを向いてもサイババ、とにかく村中サイババのあのアフロ頭だらけなのである。
驚いたことに、ここでは挨拶も違う。普通インドだと観光客に向かっては「ハロー!」もしくは「ナマステ!」で声をかけられることが多いのだが、ここではそれが「サイラム!」なのである。はじめ、バス停のおじさんにコレを言われたときには「はて?」と首をかしげてしまったのだが、そんな様子を見ておじさんが親切に教えてくれた。「サイ」とは聖なるという意味で、ラムとは慈悲みたいな意味らしいのである。なんだかよくわからないが、この村ではこの挨拶が一般的で、信者同士も、村の人も、絵ハガキ売りもバナナ売りも乞食も、この「サイラム!」という挨拶をかけてくる。 ほかの場所では一度も耳にしなかった挨拶をされながら、めちゃめちゃにファンシーな建物をすり抜け、私たちはバックパックを担いでよろよろとサイババの住まうアシュラムに足を踏み入れた。なんだか狐につままれような気分だ。ここはほかのインドのよくある村と根本的に違うのかもしれない。サイババという聖人がこの村に生まれることによって、彼自身の運命はもちろん、この村の運命もガラリと変わってしまったことだろう。過疎で悩む日本の小さな村に聞かせてあげたい。「聖人が生まれたら、村興しになりますよ」って。それにしても……宗教って儲かるんだなぁというフトドキなことがチラリと頭をかすめる。そんな煩悩を丸出しにして、聖地のアシュラムの奥へと足を運んだ。
●「アシュラムはホテルじゃないんだ!」 着いて早々、アシュラムでの宿泊手続きに向かった。到着した場所では、白い上下服に、青と水色の朝日新聞のマークのようなスカーフを首に水兵さんのように巻いたおじさんがいた。年はかなりくってるけれど、白いボーイスカウトのようなおじさんなのである。入り口にもいたから、きっとこの服装をしている人はここのスタッフなのだろう。女性は同デザインの赤のスカーフをしているようだ。そんなことを観察しながら、白いボーイスカウトおじさんは、ギロリとした目で「ふたりは結婚してるのかね」と聞いた。きたきた、と思った。結婚前の男女が旅行をするなんてとんでもない、というお国柄のインドだけに、こういう「聖なる場所」では聞かれて当然な質問だ。「はい」と答えると白いボーイスカウトおじさんは「ベリー・グッド!」と笑わずに言い、私たちに鍵をくれた。部屋はお湯が出ないのを除けば、かなり快適であった。広すぎるぐらい広いし、大きなテーブルもサイドテーブルもあった。シンプルだけど日当たりがよく、何より安いこの部屋代に「ううむ」と思わずふたりともうなってしまったのだった。
アシュラムを歩いている人は、インド人が80パーセント、外国人が20パーセントぐらいだ。外国人は白人が多く、ネパールやマレーシアやシンガポールなどアジア諸国から来た人たちなどの姿もチラホラと見かける。なぜわかるかといえば、アジア諸国から来ている人は団体が多く、「SINGAPOLE」や「MALASIA」などと書いてあるお揃いのスカーフをしている人が多いのだ。会えないだけなのか、気づかないのか、あまり日本人の姿は見かけない。白人は主に40代ぐらいのおばちゃんが多く、ファミリーで小さな子供を連れている姿もよく目にする。しかもビックリするのがこのアシュラムにいる外国人はほとんど全員、完全なる「インド・ルック」で身を固めているのだ。女性は白色っぽいサリーかパンジャビ・ドレス、男性は白いクルター・パジャマー。足は皆素足で、伸びっぱなしの髪の毛をまとめている人も多い。皆そのいでたちでアシュラムのなかを慣れた足つきで歩き回り、例の「サイラム!」と挨拶をかわしている。なんというか、「サイババ見てみたいから来ちゃいました」的な、観光気分バリバリなのは私たちだけのような疎外感があるのだ。 初日の夜、アシュラムのなかの食堂を見過ごし、アシュラムの外で夕食をとることにした。アシュラム内の食堂はどうやらベジタリアン・フードだけだから、これはどうも精力が出なそうだと思ったのだ。そのうえ食堂は男女が完全に分けられていて、夫婦で夕食を食べることもできないのだ。周囲にはツーリスト向けのカフェやレストランも多く、そっちのほうが断然魅力的なのである。手ごろなレストランに入り、ネパールから来たというコックさんの手料理に舌鼓をうち、満腹になり、ついでにネットカフェでメールをチェックしたら、もう夜も10時。デザートにバナナを買い、それをブラブラとさせてアシュラムに戻ったところ、なんと門が閉まっているのである。そしてその堅く閉ざされた門の向こうには、例の白いボーイスカウトおじさんが目を三角にして立ちはだかっている。アシュラムは全体的に電気が落ち、ひっそりとしている!……「こんな時間まで何をしてた!」厳しい口調で攻めるおじさん。弁解しようと慌てふためく私たち。「9時には電気が消えるから、明日はそれまでに帰ってこないとダメだよ! アシュラムはホテルじゃないんだ」。結局最後におじさんは渋々と門を開けてくれた。 部屋に戻ると、早速「アシュラムの規則」と書かれた紙を見つけた。英語で書かれているし、普段なら読む気がしないものだけれど、渋々目を通す。いわく、9時には電気が消えるので、それまでには部屋に戻ること。部屋ではほかの信者の迷惑になるような騒音を出さないこと。アシュラムでは卵を含む、ノン・ベジタリアンフードを食べてはいけないこと。電気、水を使うときは最小限にとどめること。清潔な衣服に身をつつむこと。男女は交じって(Mix)はいけないこと……。思うがままにこの半年暮らしてきた私たちには「アレはダメ、コレはダメ」と言われているようで耳が痛いのだ。下に(英文だが)全文を掲載したので、見てもらいたい。かなり興味深い内容だと思うのだが……。ここでは肉食を禁止しているから、外でモリモリ肉を食ってきた私たちはもうハナから邪道なのである。ともちゃんはアルコール禁止の規則に、しょんぼりと頭を垂らした。「やっぱりアシュラムはホテルじゃないんだね……」当たり前のことにいまさら気づいた私たちは、普段のように好きな音楽をかけることもせず、シーンと静寂に包まれたアシュラムの夜を迎えたのだった。
●サイババの歴史&宗教 サイババのサイ=SAIは聖なるという意味で、ババ=BABAはおじさんの一般名称でありインドではよく耳にする言葉だ。つまり聖なるおじさんってことだろう。サイババと聞くと日本ではこのアフロのサイババが有名だが、実は彼は2代目。初代はシルディ・サイババといい、ターバンを巻いたサドゥー・ルックの彼の肖像画はインドのあちこちで目にすることができる。シルディ・サイババが死期に8年後の転生を予言しており、その生まれ変わりがプッタパルティのアフロおじさん、サティア・サイババなのだ。サティアとはサイババの第一言語であるテルグ語で真実という意味であり、彼の親がつけたSathyanarayanaから来ている。Sathyanarayanaというのは、彼が12歳のときに自ら名乗った名前である。ただし普段彼は自らのことをただのBABAと称している。マハトマ・ガンジーが自分の名前に付けられる「マハトマ=偉大な」という呼称を嫌ったように、彼もただのおじさんとしていたいのかもしれない。それに対し、村の人やアシュラム内ではサイババのことを「スワミー」と呼ぶのが一般的である。このスワミーの語源はよくわからないが、「聖人」という意味であるという。 サイババは1926年11月23日、このプッタパルティに生まれた。ここプッタパルティではサイババの写真に交ざってよく両親の写真が売られている。キリスト教で言えばマリア様の絵写真が売られているのと同じ感覚だろう。お父さんはごくふつうのインドの労働者階級のおじさんといういでたち。お母さんはいかつい顔をしていかにも肝っ玉かあさんという印象を受ける。斜視の目が目立つものの、こちらも普通のおばさんだ。サイババはどちらかというとお母さん似なのかしら、という気がするだけで、サイババ自身はともかく、このごくごく普通のおじさんとおばさんの写真を祭壇に飾る気は起こらない。けれどそう思うのは私だけなのか、みなありがたそうにご両親の写真も一緒に買っていくのである。サイババの生家は、イエス・キリストがそうであったように、とても貧しい家だったそうだ。貧しい家の普通の両親が、いつの間にかブロマイドになってしまってしまっているのだから、インドらしい気がする。
サイババは朝日とともにこの世に生を受けた。キリスト誕生の物語が聖書でいちばんなドラマなように、彼の誕生にも逸話がある。産湯につけて寝かせていると、何やら彼の敷布がモゾモゾとしていた。産婆さんが慌てて確認すると、なんとコブラが敷布の下にいたのだ。けれども生まれたばかりの赤ん坊はそれを気に留めるでもなく、またコブラのほうも生まれたばかりのこの赤ん坊にかみつくでもなく佇んでいる。コブラといえばインドのヒンドゥー教ではシヴァ神のペットとしてインドでも崇められている動物である。「この子は特別な子供だ」この赤ん坊の誕生にコブラが登場したという話は、またたく間に村中に広がったいう。 子供の頃の彼は、その誕生通り「特別な子」としての能力を遺憾なく発揮していたそうだ。乞食が来れば家まで連れて帰り、ご飯を食べさせる。そんなことをしていたら自分たちが飢えてしまうと母親に注意されたところ、自分の食事だけは別にしてもらい、それをすべて乞食に与えてしまった。心配する母親には「神様が食事をくれるので大丈夫だ」と言ったという。インド人は手で食事をするから、母親がサイババの手を確かめてみると、確かに食べた跡があるというのだ! そんな不思議な力を持ちつつもサイババは心優しい子だっただけに皆に愛され、村のペットのようにかわいがられていた。また自身もペットや動物が大好きで、この頃から動物を殺して食べる肉食には手をつけなかったという。歌や詩に秀で、学校では優秀な生徒として名が知れ渡っていた。定規をなくしてしまった生徒がいたら、例のパワーでどこからか定規を取り出してしまう子供だったサイババ。それは人気者になってしかるべし、だろう。 転機が起こったのは彼が12歳のとき。猛毒を持つサソリかもしくは蛇に刺されたことにより、彼は生死の淵を行き来した。食欲はなく、朦朧とした日々が続く。親は心配して色々な医者を駆け巡ったが、誰も彼を直せるものはいなかった。そうこうするうちに彼は自分でハーブを調合し、自分の怪我をすっかり治してしまった。ある日家族を呼び集め、例によって何もないところから飴や花や食料品を取り出した。「お前はいったい何者なんだ?」。わが子とはいえ、この奇妙な力を持つサイババに父親は憤然となって聞いたという。「私はサルディ・サイババだ。この困難な時代に、人々を救うためにきた」そう答えたサイババはその日から学校を去り、家を去り、近所の庭に住んで人々を伝道し始めた。生死の淵をさまようことによって、自分の前世に覚醒したのだといえよう。彼が伝道を始めるやいなや、人々は続々と話を聞きにその場所に集まり始めた。そのときサイババは若干12歳であったが、まるで博学なおじいさんのような英知に満ちていたという。 「この立派なアシュラムはいつできたの?」とアシュラムのそばにあるカフェのオーナーに尋ねたところ、「僕はもう20年も前にこの村に来たんだけど、そのずっと昔からあった」ということだ。調べたところ、アシュラムが建設されたのが1950年。サイババが若干24歳のときである。上に述べたように広大な敷地に数々の施設があるこのアシュラムは至高の平安の住まいという意味である「プラシャンティ・ニャラム」と名付けられ、地元の人はもちろんのこと、インド各地、世界各地から信者が集まる場となっている。そんな昔からあるにしてはアシュラムはどこもピカピカじゃない?と思ったけれど、それは「時期に合わせて建て替えたりリフォームしたりしている」とのこと。ちなみに最初にサイババが伝道し始めた頃と同じ場所に現在のアシュラムが建っているそうだ。なんだか立派な出世物語を聞くようで、聞くも涙、語るも涙の話である。
ちなみにサイババは教育と医療に力を入れており、1960年に彼のアシュラムの隣に学校を建てた。その後、数々の医療施設も建設した。驚くことにここプッタパルティにある学校も病院も、それらのサービスを受ける必要のある人には、すべて無料だということである。この村に着く前の病院も、その施設のひとつなのだ。一体どこからお金が? という気にもなるのだが、はやり莫大な献金と、それからそれらの施設のスタッフはボランティアだったり、先生やら医師やら看護婦やらはほかより安い給料で働いていたりするそうだ。実際、博物館の警備員は普段は英語学校の先生で、「サイババが私にこの仕事をお与えになったから、午前中はボランティアとして博物館で働いているのだ」と言った。こういった学校や医療施設はインド中にあり、実際バンガロールでも彼の病院と言われる建物があった。サイババはアフリカにも足を伸ばしており、サイババ博物館ではザンビアにあるサイババの学校の写真と、お揃いの制服でニッコリ笑う黒人の子供たちの写真が飾ってあった。
サイババは神の化身としていろいろな奇跡を行うことで有名である。もっとも有名なのは「物質化現象」と呼ばれるもので、何もないところから物質を取り出すというもの。取り出すのは「ビフーティ」と呼ばれる聖なる灰がもっとも有名。医薬品としての効果があると言われ、実際にサイババに謁見してこの灰をもらった人は、「飲み込みなさい」とのお言葉をもらうことが多いそうである。灰のほかにもブレスレットやらペンダントやら時計やら、食べ物やらアレコレ出してくれちゃう、サービス精神の旺盛な神様なのである。余談だが、プッタパルティのみやげ物屋さんでもやたらとブレスレットやら時計やらペンダントやらが売られていたが、それもひとえに「サイババが出したものラインナップ」としてみやげ物化されたのだろうか。 話をもとに戻そう。物質化現象のほかにもサイババの奇跡話は多い。人を癒す力を備えているらしく、サイババからパワーをもらうことによって車椅子に乗っていた人が歩けるようになったり、ときには死んだ人も生き返らせるのだという! この話を聞いて、ピンときた人もいるかもしれない。サイババはその生い立ちや奇跡を起こす能力など、どことなくイエス・キリストと通ずるところがあるのだ。実際彼が死んだ人を生き返らせたことは「新約聖書」では有名だし、彼の教義もどことなくキリスト教の影響を受けているようなところがある。 というのも、私がまず気になったのは、アシュラム内にいくつもある、サイババによるお言葉を刻印した石碑である。「LOVE ALL, SERVE ALL」、「HELP EVER, HURT NEVER」などシンプルな言葉から何行にも渡るチンプンカンプンなものまで、それらはあちこちで目にする。見ていると、そのフレーズには圧倒的に「LOVE」という単語が多いのだ。しかも「敵を憎んではいけない。憎らしい敵でも、いたわりなさい」などあって、「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい」というキリスト教の教義を思い出してしまう。全体的に献身的なものが多く、「目には目を」のムスリムとは根本的に違うようだ。ゲットしたサイババ本でも「イエス・キリストと同時代に生まれた人がラッキーなように、私たちはサイババがいる時代に生まれたことを喜ぼう」と結んであった。ただし、その本によると「あくまでも理解しておかなければならないのは、サイババはイエス・キリストの父であり、イエス・キリストはサイババのよき息子だったことである」とのことだ。つまりキリストよりエライのじゃ、と言いたいらしい。 ここで、サイババの10の教義を挙げておこう ざっと、こんな感じだ。どこかの宗教で聞いたようなフレーズもあるし、インドならではだなあという感じがするものもある。D「乞食」について触れているところや、C「家や庭をキレイにしなさい」などだ。これらについてはガンジーがインドの独立運動を行うときにも同様のことを繰り返し述べていた。まだまだ衛生教育や「乞食」が教義になってしまう国なのだなあという気もする。それからFのカーストと訳してしまったところは本文ではbribesとなっていた。ここはあまり自信がないのだが、正訳だとすると、インドではまだカースト制度も無視できないものなのだろう。ただしここで述べられていることは、ガンジーのように「カースト制度と戦う」というよりは、もう少し柔和な気がする。やはりヒンドゥー教徒の多いインドではそれと真っ向から戦っていると、布教もなにもできないのかもしれない。 私はサイババの教義でポイントとなるのはA「すべての宗教を誇りに思いなさい。すべての道はただ唯一の神に通じるのだから」という項だと思う。ちなみにサイババはあなたがもしヒンドゥー教徒であれば、よきヒンドゥー教徒になりなさい、もしあなたがイスラム教徒でもキリスト教徒でも、仏教徒でもゾロアスター教徒でも(この宗教が出てくるあたりがインドだ)同様に、それぞれの宗教のよき信者になりなさいということを言っている。これは信仰心の厚いインド人にとっては実に受け入れやすいものだ。たとえばヒンドゥー教徒ならばヒンドゥーのお祭りを祝ってもいいし、また同時に何の矛盾もなくサイババのもとに通っていけるのである。クリスマスを祝ってもいいし、ダライ・ラマを信仰してもいいのだ。やはり圧倒的に混沌としたインド社会で聖者として受け入れられるには、何かを否定するというよりはむしろすべてを肯定したほうが手っ取り早いのではないだろうか。
知れば知るほどわからなくなるサイババ・ワールドだが、彼自身は神様だからそんなこと少しも気にかけず、毎日アシュラムのなかにある御殿で悠々と暮らしている。ペットには象を飼っていて、サイババいわくその象の来世は人間らしい。象を飼っているのもスゴイけど、その象の来世まで知っているんだから、やっぱり神様はちょっと普通の人とスケールが違う。「サイババが死んだらどうなるの?」そんな不遜な質問を白いボーイスカウトおじさんに聞いたところ、「彼はまた生まれ変わってこの世にくることを予言している」と平然と切り返されてしまった。なんでもこのプッタパルティのあるカルナータカ州にサイババが再来するのだという。次世代のサイババはいったいどんなルックスなのかしら? と想像していたら、なんだかワクワクしてしまった。こうなったらぜひ次世代のサイババも見たいわ。
●生サイババに迫る! プッタパルティに来さえすれば、特別な場合を除いて意外と簡単にサイババに会える。一日に「ダルシャン」というサイババに謁見する会、「バジャン」という歌の会がそれぞれ2回、計4回の礼拝堂での日課に、どれもサイババが登場する。けれどもそれは千人単位で集まった信者の中をサイババが歩くだけで、「会える」というよりは「見る」に近い。熱心な信者はさらにもうワンランク上のスペシャル・サービス?である「インタビュー」と呼ばれる機会を粘り強く狙っている。これはサイババに別室で質問できるという会で、ダルシャンのときにサイババに選ばれた者のみ許される謁見の会だ。そこに呼ばれた人はみんな日頃疑問に思っていることやら悩みやらをサイババに質問し、サイババがそれに応じて答えてくれるのだという。そこでサイババは例の白い灰やらブレスレットやら時計やらを出してくれ、例のさまざまな奇跡が起こるのだという。これは会いたい! なんとしてもその「インタビュー」の場にお呼ばれして、生サイババの立派なアフロを間近で見たい。でもってなんならサイババ時計を出してもらいたい。「コレ、サイババに出してもらった時計だよ」ってインド人に見せたらウケルこと間違いないだろう。
朝5時、まだ真っ暗ななかをひとり起きる。「眠いよ〜」と目をこすりつつ外に出てみると、早くも信者たちはしゃきしゃきと歩き、礼拝堂に向かっている。朝の礼拝は7時からなのだが、例の「インタビュー」に呼ばれるためには、5時ぐらいからスタンバイしていなければならないのだ。信者は5時ぐらいからアシュラムのスタッフに指示されながら、男女分かれて整然と並び始める。ひと通り並び終わったところで今度は抽選だ。列ごとに先頭がクジをひく。クジの番号の若い順に礼拝堂に入れ、当然早く入れたほうがサイババが通る花道の近くに陣取れるというシステムだ。それにしても寒くて眠い。並んでいる間も居眠りしている人が結構いる。 朝6時、女性の列に800人近くも信者が並んだところでクジがまわってくる。これで席順が決まるというのだから、熱も入るというものだ。先頭がひくと、まるで伝言ゲームのように自分の列にそのクジの結果が伝えられる。「4!」私の列の前の白人のおばちゃんがそうつぶやいた。クジは20番ぐらいまであるというのだから4番とは決して悪くない。ムフ、これで私はサイババに見初められるかも?なんて期待を抱いていたら、そのおばちゃんが大きくため息をついた。聞くとイタリアから来ていて、もう1か月もアシュラムにいて毎朝並んでいるというのに、いまだ自分の列が1番になったことがないのだという。そりゃあ、タメ息も出ちゃうよな。 朝6時半、いよいよ列が動き出す。順番に信者が立ち、礼拝堂に入っていく。このときの入り口のチェックも厳重だ。スタッフの女性が左右に待機していて、体に何か仕込んでいないかチェックする。もちろん大きなカバンの持ち込みはダメ、カメラもビデオもメモ用紙すらダメ。腹巻タイプの貴重品袋も中身を開けて見せなければならない。さすが、カリスマなのである。カリスマは往々にして熱狂的な信者、もしくは反抗勢力に狙われやすいものだ。それを警戒してのチェックは入念を極めており、国際線の検閲よりも遥かに厳しい。その厳しさにつられ「いよいよ来るな、サイババ!」こちらのテンションも上がってしまう。中に入るとこちらも男女の席は厳しく分かれており、みな急ぎ足で花道に近い場所に散らばっていく。とはいえ、礼拝堂に入ってもしばらくは待機。リッチな信者や白人のおばちゃんたちは待つのに慣れているのか、取っ手が付いて持ち運びのできるお揃いの座椅子や、お手製のざぶとんを敷いて悠々と構えている。 朝7時。どこからともなくピローンと怪しげなシタールの音が聞こえてきた。信者が一斉に背筋を伸ばし、手を合掌する。「きたっ!」思わず身を乗り出してしまう。女性陣の座る席の中央部から、ゆっくりサイババが現れた。オレンジ色のドレスに身を包んだサイババはちょっと背筋は曲がっているものの、77歳とは思えないしっかりとした足取りでソロリ、ソロリと歩き出す。足首までのドレスでゆっくりと歩く姿はまるで人魚のよう。肌のツヤは、そこらで売っているサイババ写真となんら変わりなく、若々しい。さすが聖者!それにしても立派なアフロだ。ヅラじゃないかしらなんて思ってゴメンナサイ……。 そんなことを考えているうちに、いよいよサイババは私の列に近づいてきた。周囲の人がどこから取り出したのか、みんな一斉にサイババにあてたラブレターを手に高くかざしている。みな、熱い眼差しでサイババの姿を追う。しまった、ラブレターがない!と思ったものの、「私、日本から来たんだもんね〜、遠路はるばる来たのよ〜」と思い、負けずに熱い眼差しでサイババを凝視する。こうなりゃ魂だ魂、ソウルだもんね!とわけのわからないことを思い、「こっちに向いて、私をインタビューにご指名するのじゃ!」と熱い念を送る。そんな私の怨念を感じたのか、サイババは一瞬こちらをチロリと向むいた! と思ったらすぐ後ろにくるりと向き直り、インド人のおばちゃんの涙ならがの訴えに耳を傾けてしまった。どうやらサイババはそのおばちゃんをインタビューにご指名したらしく、おばちゃんは白馬の王子様に見初められたかのように顔を昂揚させ腰をあげている。むむむ……と思ったものの、もはや念力も効力を発しないらしく、サイババはソロリソロリと男性陣の待つ方向へ向かってしまった。白馬の王子様ならぬアフロの王子様はどうやら私を見初めてくれなかったようである。 結局この日は6人ほどの信者をピックアップし、サイババはソロリソロリとまた御殿の奥に消えてしまった。それにしてもインタビューに呼ばれるのは3000人分の6、つまり500分の1の確立である。一日2回のチャンスだから250日滞在して一度インタビューに呼ばれれば妥当というこの確率に、たった2、3日でチャレンジしようというのが甘いというものね……と昔からクジ運の悪い私は妙にしょんぼりとしてしまった。それ以来、その諦め気分が伝わったのか、私の列がそれ以上の番号を引くことはなかった。アフロの王子様はつれなくも私の前を素通りしてしまうばかりだった。 アシュラムを出る日、道ばたでダルシャンでインタビューに呼ばれたという白人のおばちゃん同士が話していたのを見かけた。サイババにインタビューしたというおばちゃんは号泣しながら、「私がどう生きていくかはアナタ次第であり……サイババは私にそう言って、手に白い粉を……」とその様子を鮮明に語っていた。それを聞くおばちゃんも慎重に深く頷きながら、熱心に話を聞いていた。もし私がインタビューに呼ばれていたら、周囲の人の熱心さにビビって、何も言えないかもしれない。でもって口を開けば真っ先に「時計ちょーだい」なんて言ってしまいそうだ。そう考えるとやっぱり私は信心が足りなかったのね、やっぱり信じないものは救われないのね……とサイババの心を射止められなかったことも仕方ないと納得しながらアシュラムを出たのだった。 (2003年2月 妻・松岡絵里筆)
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