旅のドラマといえば、移動。重いバックパックをかつぎ、ときにデコボコ道を行き、ときに飛行機でブーンと飛ぶ。景色が変わるとともに、人々の暮らしも、私たちの暮らしも変わる。その変化が面白くて、私たちは旅を続けているのかもしれません

※料金はひとり分の料金です。また、ここに記載した情報は、わたしたちが旅をした時点での情報です。今後変更になることも十分に考えられますし、人によって微妙に違ったりもするかもしれません。あくまでも参考までに

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 ■アジア
バンコク(タイ)〜シュムリアップ(カンボジア)


移動日:2002年7月13日
手段:バス&トラック
料金:150バーツ

朝6時半に出発し、バス、バス、トラックと乗り継いで夜の10時半に到着するという地獄の移動。詳細は「旅の日記」にあるとおり、悪路の中をひたすら揺られるという、一番最初の移動にして、たぶん一番過酷と思われる経験をしてしまった。カオサン通りの旅行代理店にて申し込む。代理店によって150〜220バーツまでのバラつきがあるが、内容はどれも同じようだ。ただしこれは運の悪かったケースで、運がよければずっとエアコン・バスということもあるらしい。ちなみに、私たちの3日後に到着した旅行者はエアコンなしのバスで到着していた。


 
シェムリアップ(カンボジア)〜プノンペン(カンボジア)


移動日:2002年7月19日
手段:船
料金:23ドル

先の過酷な移動ですっかりしょげてしまった私たちが選んだのはボートでの移動。しかし宿が1泊4ドルというということを考えるとかなりの高額だろう。朝5時半にトラックでピックアップしてもらい、船着場まで行く。この道では素朴なカンボジアの田舎の風景が見られた。そこからボートに乗り換え、5時間ほどでプノンペンに到着する。このボートも、川べりで船で暮らす人々の暮らしが見れ、子供たちは船に向かって手をふってくれた。バスでの移動はは7ドル程度のため、3倍以上の値段を払うことになったが、私たちはボートを選んでよかったねーと満足している。楽だったし(笑)。ただし、船の屋根部分に乗っていたらかなり日差しが強烈だった。


 
プノンペン(カンボジア)〜ホーチミン(ベトナム)


移動日:2002年7月23日
手段:バス
料金:6ドル

キャピトル・ホテルで申し込み。プノンペンからカンボジア国境のバベットまでは25人乗りのミニ・バス。カンボジア国境まではほとんど未舗装路か、舗装されていても穴ぼこだらけという状況。ただしタイからカンボジアに入国したときのシソポン〜シュムリアップ間よりはまし。私たちは運良く運転席の隣に乗れたため、揺れはさして気にならなったが、うしろに乗っていた人たちは座っていながらもポンポン飛び跳ねていたという。ベトナム側の国境モクバイにてシン・カフェの45人乗りエアコン・バスに乗り換え。ここからは道もバスも格段によくなり、天国。国境を越えるだけでこんなにも道路状況や風景が違うものなのね、とふたりで感心することしきり。


 

ホーチミン(ベトナム)〜ニャチャン(ベトナム)


移動日:2002年7月26日
手段:バス
料金:ホーチミン〜フエまでで14.4ドル

シン・カフェでフエまでのオープン・チケットを購入。このチケットはルート上を一方通行に移動するのであれば、どの街で降りても、オープン期間中なら何日いても自由という便利なチケット。ただし停車する街はある程度限定されてくる。期間限定のキャンペーンでもともと18ドルなのが20パーセント・オフ、14.4ドルだった。ただし、このキャンペーンというのもいつ始まっていつ終わるのか不明。夜行もあるが、私たちは昼間の移動を選んだ。朝7時半出発で夕方5時過ぎにニャチャンに到着。いたって快適。


 
ニャチャン(ベトナム)〜ホイアン(ベトナム)


移動日:2002年7月30日
手段:バス
料金:ホーチミン〜フエまでで14.4ドル

先に購入したシン・カフェのオープン・チケットで移動。いたって快適。海沿いに移動していくために、風景はかなりよい。「あ、あそこのビーチ行きたい〜」と思うような場所をしばしば通りすぎる。朝6時半に出発して、ホイアンに着いたのは夜8時過ぎ。途中、「バスが壊れたようなので他のバスに乗り換えます」というかなり不安なアナウンスがあったが、なぜかうしろから同程度のキレイなバスが追走していて、乗り換えはいたってスムーズになされた。東南アジアでこういう時にトラブルにならなかったのには驚き! これもシン・カフェのなせるワザ?


 
ホイアン(ベトナム)〜フエ(ベトナム)


移動日:2002年8月1日
手段:バス
料金:ホーチミン〜フエまでで14.4ドル

先に購入したシンカフェのオープン・チケットで移動。こちらもいたって快適。またも海沿いを走るため、景色も楽しめる。多少のアップダウンあり(といっても乗っている分にはあまり関係ないが)。昼の1時半に出発して、フエに着いたのが夕方5時すぎ。10時間以上の長距離移動に慣れてきていたため、あっという間に感じる。


 
フエ(ベトナム)〜ハノイ(ベトナム)


移動日:2002年8月3日
手段:バス
料金:9ドル

フエからラオスに入る予定だったものをルート変更したために、フエにてハノイ行きのチケットを購入。ローカル・バスも考えたが、移動距離が長いためにひよってまたもシンカフェ・バスにした。午後4時に出発し、ハノイに到着したのが朝の6時半。夜行ということで満員だとヤダ〜と思っていたものの、見事ふたりで4席確保に成功。縮こまっていたものの、ぐーぐー寝ながら移動。途中の夕日が見事で、あまりに興奮した絵里は50枚近く写真を撮ったが、走っているバスからの写真のためほとんどがブレブレ。ぐっすん。


 
ハノイ(ベトナム)〜ラオカイ(ベトナム)


移動日:2002年8月8日
手段:寝台列車(ハードスリーパー)
料金:12ドル

ベトナムに来て初の列車移動。ハノイを夜10時に出発し、翌朝9時頃ラオカイ(ベトナムと中国の国境そば)に到着した。宿の人が強行にソフト・スリーパーをすすめるも、強行に断ってハード・スリーパーのチケットをゲット。しかも宿の人のミスにより、当日までチケットは取れていなかった。ひと悶着あってやっと手に入れた切符だ。浮かれながら席を探すとそこには確かにハードそうな寝台があり、その上にはポツンと筵(むしろ)がひかれていた。3段×2の寝台でひとつのコンパートメントになっており、天井には扇風機がひとつ。翌朝、目をさますとすでに同室には爆睡するともちゃんしかおらず、もうとっくにラオカイに着いていた。見かけよりも実に寝やすい列車だった。


 
ラオカイ駅(ベトナム)〜イミグレ(ベトナム)

移動日:2002年8月9日
手段:バイクタクシー2台
料金:ふたりで5000ドン

ラオカイから国境のイミグレーションまではバイクタクシーを利用。当初「歩いていけるんじゃないの〜」と思い、ふたりで5000ドンまで値切って2台のバイクに乗ったが、途中で歩ける距離じゃないことに気づいた。イミグレに到着して2000ドン×2、1000ドン×1で払ったが、ふたりの運転手がどっちが1000ドンを取るかということでケンカし始めてしまった。6000ドン払ってもいい距離だったので申し訳ないな〜と思ったが、もうベトナムの通貨を残していなかったので早々に退散。

 
河口(中国)〜昆明(中国)


移動日:2002年8月9日
手段:バス
料金:76元

12時半に河口を出て、夜10時半に昆明に到着。トイレ休憩のみで食事休憩はなかった。食いしん坊の中国人がこれで大丈夫なのかと心配したが、窓からカップラーメンを捨てているおじさんを見て(詳しくは「旅の日記」)、そんな心配は無用だったことに気づく。道のコンディションはいたって上々で走りは快適だった。


 

 

昆明(中国)〜麗江(中国)


移動日:2002年8月11日
手段:寝台バス
料金:120元

夜行寝台バス。夜9時半に出て朝6時に麗江に着いた。古いタイプの寝台バスはふたりでひとつのベットらしいが、わたしたちが乗った新しいタイプのバスにはひとりひとつのベットがあった。身長180センチの夫には若干狭いようだったが、妻は快適に寝ることができたようだ。高速道路をガンガンに飛ばしながら走るが、夜だったため恐怖感はなし。


 

 

麗江(中国)〜昆明(中国)


移動日:2002年8月14日
手段:寝台バス
料金:125元

来たときと同じバスで帰路につく。時間もほとんど同じ。途中、バスの運転手にふたりそろって「トイレに行きたい」と訴えるも、「没有! 没有! 没有!」とあっさり断られる。ちなみに「没有」は「メイヨー!」と発音し、「無い」という意味。中国人にこうまくし立てられると「無いよー! 無いよーったら無いよー!」と聞こえてくるから不思議だ。ふたりして泣きそうになり、気分まぎらわしにしりとりなどするも、「マリオ」〜「おしっこ」〜「こびと」〜「トイレ」と無残な結果に(笑)。ようやくトイレ休憩になったときには、ふたりで泣きそうになりながらバスから転げ落ちるように降りた。けれど行く先がこの世のものとは思えないトイレで、しかも有料だったりするのが中国。でもそのときはそんなこと考える余裕もまったくなし。


 
昆明(中国)〜上海(中国)


移動日:2002年8月15日
手段:寝台列車(軟臥)
料金:585元

初の中国列車にしてリッチな軟臥の旅。くわしくは「旅の日記」を。切符は麗江の火車切符売り場にて購入。麗江から昆明に帰ってきたその足で、宿には泊まらずにそのまま列車に乗り込む。51時間という旅始まって以来の大移動であったが、もっともっと乗ってられる〜と思わせてくれたのはさすが軟臥でございます。


 
上海(中国)〜蘭州(中国)

移動日:2002年8月23日
手段:寝台列車(硬臥)
料金:423元

硬臥での移動、計28時間。本当はウルムチまで行きたかったのだが、切符が取れなかったので蘭州までにした。大都会上海は始発列車が多いものの、人の出入りが激しいため切符が取りにくいのかもしれない。ちょうど夏季休暇と重なっていたのもあったし。寝台は上、中、下の3段になっている。空調も効いているし、シーツも布団もあるし、中国列車は高いだけのことはある。ただし、近くにいる中国人の質によって快適か快適でないかが決まるのかもしれない。

 

 
 
蘭州(中国)〜ウルムチ(中国)


移動日:2002年8月25日
手段:寝台列車(硬臥)
料金:365元

蘭州に着いてすぐ、駅内の切符売り場に向かった。最初の窓口で切符はすべて無い、とぶっきらぼうに言われたものの、別の窓口に行ったら翌日のウルムチ行き硬臥があっさり出てきた。おそらく最初の窓口は外国人だというのがバレ、面倒くさいと思われたのだろう。粘り勝ちに思わずガッツポーズ! 計24時間の旅だったが、こちらもいたって快適。列車に乗って時間がたつにつれて周囲にウイグル人が増え、ああウイグルに入ってきたんだわ、と感慨もひとしお。


 
ウルムチ(中国)〜カシュガル(中国)

移動日:2002年8月27日
手段:寝台列車(硬臥)
料金:345元

午後3時に出発して翌日の同じぐらいの時間に到着。このルートは開通してまだ数年と新しく、列車もほかの中国列車とは違うタイプだった。硬臥は2段ベッド×2のコンパートメント、それがさらに上下2段に分かれている。タクラマカン砂漠の北端を沿って走る列車だけに、牧草地帯あり、砂漠あり、山々ありと絶景が続く。特に初めて見る広大な砂漠にはふたりとも「いよいよだわ」と妙に興奮した。列車にはやはりウイグル人が多い。

 

 
 
カシュガル(中国)〜ウルムチ(中国)


移動日:2002年9月3日
手段:寝台列車(硬臥)
料金:345元

午後5時すぎに出発し、翌日の同じぐらいの時間に到着。こちらも硬臥。カシュガルの駅は中国とは思えないほどかなり奇抜な建築。青い空と妙にマッチングしていてとてもインパクトがあった。ただし街から離れているからいいものの、街中にあったら……。帰りも同じく絶景だが、同じルートを戻るとあって、ふたりともちょっとダレぎみ。


 
ウルムチ(中国)〜敦煌(中国)


移動日:2002年9月5日
手段:寝台列車(硬臥)
料金:181元

午後9時に出発し、翌朝9時に敦煌に到着した。この頃になると味をしめて硬臥にしか乗る気がしない(笑)。ウルムチ〜敦煌が始発、終点という列車だった。敦煌は観光地としては有名だけど、街としての規模は小さいからか、終点まで乗る人はそんなに多くなかった。駅は敦煌市街から130キロも離れた寂しいところ。市街までは15元のミニバスを利用したが、駅からちょっと走るとすぐに砂地になった。駅から市街まで2時間の距離はちょっとおっくうだけど、敦煌が確かに砂漠のオアシスなのね、と実感するにはもってこいの道かも。


 
敦煌(中国)〜ゴルムド(中国)


移動日:2002年9月11日
手段:寝台バス
料金:98.8元

久々のバスでの移動。寝台バスだが、ベッドは雲南省のバスと比べてかなり狭かった。夜出発のくせに、途中で運転手&車掌が食事休憩をとり、乗客はブーブー文句を言っていた。その代わり、トイレ休憩が多かったのはありがたかった。午後7時30分に出発し、翌朝ゴルムドに到着。なお終始真っ暗だったため、景色などはまったく楽しめなかった。


 
ゴルムド(中国)〜ラサ(チベット)


移動日:2002年9月12日
手段:ジープをヒッチ
料金:650元

雪は降るわ、公安に捕まるわ、高山病にかかるわで、本当に本当に本当につらかった移動。出発前に食料を大量に買い込んだけど、ぜんぜん食べる気がせず。道も予想以上に悪路。何度も車の天井に頭をぶつける。同乗の赤ん坊がキィーキィー泣くのも勘弁してほしかった。景色がバツグンによかったのがせめてもの救いか。シェムリアップへのトラック移動以上にハード、というのが感想。詳しくはこちらを参照のこと。


 
ラサ(チベット)〜ギャンツェ(チベット)〜エベレストB.C.〜ダム(中国国境)

移動日:2002年9月24〜27日
手段:ランドクルーザー
料金:5人で5500元

ジョカンのそば、SNOW LAND HOTELの2階にある旅行代理店「FTI」にて申し込み。ボーダーまで3泊4日、ガイド+ドライバー込み(宿泊費、食費は別)で5名のメンバーでこの値段。そのルートを通るのに必要なパーミッション代も込みだが、ベースキャンプへの入域料(ひとり146元)は自分たちで払う。日数を少なくしたりすればもっと安くなる。4年前、同じルートを通ったときよりは若干値上がりしているような気もするが、何よりそのときはガイドとドライバーとウマが合わず苦労したのを覚えている。

今回はギャンツェ、ラツェ、エベレストBCで一泊ずつするルートだったが、実際は最終日がタシゾムに変更になった。ガイドとドライバーいわく「エベレストB.C.に泊まると国境到着が明日の夜かなり遅くになる」らしく、確かにいままでのペースを考えると厳しいと私たちは判断したため、変更したのだ。実際、彼らの言葉は本当だったのだが、「なら先に言え!」とそのルートでOKを出した旅行代理店に立腹するもなすすべはナシ。ガイドに関しては宿も飯もオススメはあるものの、断っても問題なかったし、お金の問題もなく、ちょっと気がきかないところを除いては、まあまあイイ人(つうより「悪い人じゃないんだけどね〜」という感じ)だったので、今回はアタリだったようだ。

車はTOYOTAのランドクルーザー。さすがランクル! と思うのはその乗り心地。ほとんど未舗装道路を通っていたのだが、バスや北京ジープと呼ばれる中国製のジープに比べたらサスの効きがまったく違って揺れもなめらかなのだ。後ろの荷物置き場は特設お昼寝ベットとして、乗った人は次々と寝こけていた。

道は国境そばのダム手前が土砂崩れでかなりの悪路。道のまんなかに川が流れていたりするし、道が崩れていたりするし、道は深い谷沿いに作られているからもし落ちたらまっさかさまにサヨナラ〜って状況に加え、モウモウと霧まで出てきたからかなりスリリングだった。ただしチベット人のドライバーは珍しく超安全運転だったので結果的にはなんの問題もなかった。それ以外の道は思ったよりも整備されていて、ドライバーもラクチンに走っていた。ただこのルートだと標高4000〜5000メートル付近を走るため、ところどころ雪が降っていたりして、寒かった。高山病はラサで高地順応したあとなので、まったく問題はなかった。

 

 
 
ダム(中国国境)〜コダリ(ネパール国境)


移動日:2002年9月27日
手段:歩き
料金:もちろんタダ

もうすぐネパール! と意気込んで到着したものの、中国側の国境ダムからネパール側の国境コダリまで8キロの道のりをバックバックを背負ってヨチヨチ歩くことに。ちなみにこの区間、ランクルをチャーターするとひとり20元(=約300円)らしい。途中ショートカットすれば徒歩で3キロ程度だというガイドブックを信じて歩きにしたのだが、ひどく後悔する結果に(詳しくはこちら)。聞いてないよも〜と言いたくなるようなハプニングもあったが、山道自体は景色もよく、余裕のある人には楽しいミニ・トレッキングかも。ただし2002年10月初旬のネパールの新聞に、中国側のボーダー付近で中国人らしき軍服を着た男にアメリカ人のツーリストが撃たれるという事件の記事が載っていた。おおこわ。


 


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